雨と傘
Apple Musicの新番組、第一回。
満島ひかりさんとの対談で出た【傘の下のプライベート空間】の話を聴いて、そこに通じる話を思い出した。
うちの旦那さんはよく、「オザケンみたいな意識高い系の人って、なーんか好きになれないんだよなぁ…。」と、言う。
嫌い、とまでは言わないけれど「自分にはちょっと小難しいんだよね。」みたいなニュアンス。
小難しいと言われれば。確かに。それは否定しない。
しかし言っておかなければならないのは、小沢健二は決して『意識高い系』ではなく『人間力高い系』であるということ。
まず私の思う意識高い系というのは、言い換えれば『見られる意識高い系』である。常に向上心を持ち現状に満足せず、前向きで、ピンチはチャンス、ポジティブisジャスティスみたいな精神を“表面的に”纏っている人々のことだ。彼らの一番核となるのは『人に見られてナンボ』ということである。この種の人々はたぶん、誰にも見られていなかったら何もしない。まるで人からの評価が良い姿勢を保つためのシートベルトであるかのように、
「先輩っていつもオシャレですよね〜!」「社長の前向きな考え方で人生変わりました!」と、誰かに言われなければ、茹ですぎたスパゲッティのようにフニャフニャとへたってしまう。
表面的には結構ハチャメチャなのだが、誰かが褒めようが褒めまいが、けなそうがけなすまいが、自ら良い姿勢を保つ方法を知っている。ベルトなしで急上昇したり、または急降下したりできるおかげで、ピンチの時はしっかりピンチになる。
時々吹っ飛ばされて痛い思いをしたりする。それでも貫く。自分を貫く。
そういう見ていてハラハラする人こそが人間味溢れ、人々の共感を呼び、いつしか懐深くにそっと入り込んでゆく。
そして私達はまんまと、それを愛し、心地よく感じてしまうのだ。
透明の傘でズンズン歩いて、『いつ誰に見られても恥ずかしくない自分』を保つことは悪いことではない。
けれどもなぜか私達は、黒い傘の下で、雨音に消え入るようにニンマリ鼻歌を歌いながら人混みを抜けてゆく、そういう人に心動かされてしまう。
不思議なことに。