潔く負けることは勝つことよりも大事
転売問題ってのは立場によっていろんな見方があって、何が正しいかなんて誰も言えないし難しい問題だけど。
転売どうこう以前に、結局はみんな何かを諦めて何かを手にしてる。
それだけのことなんですよね。
だから結果平等なんだ、と思えるかどうかはその人次第。
そんなことを感じた伊勢丹初日でした。
あるアーティストがグッズを出す。
欲しい人はたくさんいる。
じゃあ欲しい人が欲しいものを欲しいだけ買えるようにすればいい。
全部、受注生産にすればいい。
でも、アーティストとはそういうものではない。
アーティストはファンのやって欲しいことを実現するために存在しているのではない。
それは楽曲制作でもグッズ販売でも同じ。
「こんな曲じゃなくてもっとこういう曲作って欲しい。」
「コラボとかいらないから1人で歌って欲しい。」
「あのグッズとこのグッズは人気だから大量生産して欲しい。」
それをやり始めたらそのアーティストがその人である意味がない。
ファンの望みを形にするのが仕事なら誰でもよくなってしまう。
やはり、ファンとアーティストの関係とはそういうものではなくて
アーティストから発信したものを、気にいるか気に入らないか。
それでファンがつくかつかないか、というのがあるべき形だ。
「こんなグッズを作ってみました。どうでしょう?気に入ってくれたのならよければ買ってくださいね。」
このやり方はなんにも間違っていない。
「でも作れば売れるんだから作ってくれればいいじゃん!」という声もあるだろう。
でもよく考えてみて欲しい。
「コレ2000個も準備したけど売れるかな…。いや、僕のファンならきっと気に入ってくれるはず!みんなの好きそうなデザインで作ったしきっと買ってくれる!」
そういう信頼関係のもと成り立っている売り方と、
「どれが欲しいか分かんないから受注生産にしよ。」
みたいな在庫を持たずに損しない売り方。
どちらがいいかと言われたら私は圧倒的に前者がいい。
欲しいものが手に入ることも大事だけれど、アーティストとの信頼関係やイベントとしての盛り上がりの方がもっと大事だ。
別にお店に行かなくても全部何個でも買えると言われたら、それが本当に楽しいだろうか。それで盛り上がれる人はどれだけいるだろうか。
「あれとこれが買えた!」「頑張って東京まで行ったけど買えなかった!ショック!」
そういうファンの一喜一憂を見て、アーティストはファンを大切にしようと思うのではないか。
もっと喜んでもらえるものを作ろうと思うのではないか。
ただものを売ってお金が入ってくればいい、と考えている人はアーティストではない。
アーティストがアーティストたるゆえんは、その世界観にある。
うわ、今回はこんなことやるのか!こんなものつくるのか!
そういった驚きや感動を与えずしてアーティストとは言えない。
そうすると、自然と「売り方」にもこだわりが出てくる。
毎日ワクワクして欲しいから、少しずつ情報を出す。
実店舗があればもっと楽しんでもらえるだろうか、と期間限定ショップを出す。
すると、全ての町にお店を出すことは現実的ではないから、日本の真ん中あたりにお店を作る。
東京。また東京だけか。と、地方のファンは、がっかりする。
東京でよかった!と首都圏のファンは歓喜する。
しかし、当然お店には商品を置けるスペースや、お客さんの入るスペースに物理的な限界がある。
詰めるだけ詰めてもレジは進まないし、ごった返して怪我人が出ても困るので、「売り方」に制限を設ける。
整理番号を配る。
なるべく多くの人に行き渡るように点数を制限する。
それだけやってもらって、文句をつけるのはやはり違う気がする。
自分が買えなかったという理由で文句をつけるのは、違う気がする。
地方だから買いに行けない。
給料日前だから買えない。
その日は仕事だから行けない。
子供に手がかかるからデパートなんて行けない。
買えない理由は色々ある。
けれどその中でそれぞれどうにか買える方法を模索すればいいし、それでも結局買えない人は、買えないのではなくて何かと天秤にかけた結果買わないことを選んだだけだ。
地方在住でも仕事で抜けられなくても、飛行機や新幹線で飛んでいくとか、仮病をつかって仕事を休めば買いに行けるかもしれない。
人に頼んで買ってもらうこともできるかもしれない。
給料日前だからお金がなくても、数日分のお昼ご飯を抜きにするとか、家にあるいらないものを売るとかすれば買えるかもしれない。
そうやって悪あがきしてみて、買える人は買えるし、買わない人は買わない。
飛行機代を捻出するために来月はずっとお昼ご飯なし、それでも自分にとってそのアーティストグッズがひと月分のお昼ご飯より価値があると思うなら買えるし、「そこまでしては、いいかな。」と思う人は買わない。
それだけの話。
そして希少価値というのは無くしてはいけないと思う。
誰かが手にして誰かが手にできない、そんなことは世の中腐る程ある。
なんでもかんでもみんなに平等に与えるべき、と言っていたら「競争」自体が成立しなくなってしまう。
徒競走でみんなが一等賞をもらえたら一等賞の価値がないのと同じように、「限定品」というのは全員が手にしたら限定品の価値がない。
毎回どんなイベントでも全グッズもれなく買いたい人は、ただただ汗水垂らして働いて大金持ちになればいいのだから。
「そんなにまでしては、いいかなぁ。あんまり苦労せずにのんびり暮らしていきたい。」という私も含め大多数の人間は、時々は潔く諦めなければいけないということです。
喉から手が出るほど可愛いグッズ達は諦めて、甘くて硬派なTシャツのためにこの一週間500円くらいで生活した私の戯言でした。
あ、タイトルは私の大好きな海外ドラマ「フルハウス」に出てくるセリフです 笑