Ukiuki Street,#414

小沢健二中心に、好きなものを色々絡めつつ。

SONGS 二つの電波塔

近頃、万華鏡を手に取り片目をつむって、あの小さな穴の中を覗いたことがあるだろうか。
くるくる回して、口をポカンとあけて、現れては消える幾何学模様にうっとりする。
「ゎぁ~。きれ~ぃ…」とつぶやく。
たぶんほとんどの人は何年もそんなことはしていないと思うけれど。
まるで、まったくその場面と同じように私達の目の前をきらめくビーズで埋め尽くした、そんな『SONGS 小沢健二』の感想を書きたいと思います。

NHK所蔵の過去映像が流された冒頭ナレーション。
子犬みたいに甘ったるい顔をした若かりしオザケンが、時代の最先端で歌う姿は文句なしに可愛かった。
彼を好意的に見ている人ならもれなく全員「うわ、可愛い。」と思ったに違いない。
しかし、彼が父親となり愛情たっぷりに息子の話をしている今。この2017年においても、相変わらず『渋谷』から本当のことを発信し続けている彼の姿を目の当たりにして、小沢健二はいよいよオザケンを超えてきたのだと多くの人が気づき始めたような気がする。
これまでは、「今の小沢健二もいいけど、やっぱ全盛期は超えられないよね。」だったのが、ついに「昔も可愛かったけど、今の小沢健二には敵わないかもね。」と言わせる状況になってきている。嬉しいことに。

顔にも声にもそれなりに年輪が刻まれて、当たり前に出来たことが出来なくなったりもしているけれど、逆に言えば当時出来なかったことが出来るようにもなっている。
たとえば、文化が都市を作るという話。
私達のすぐそばに立っている自動販売機の話から、日本人のもつ文化の話へと移行するのだけど、それが注意深く耳を傾けていないと継ぎ目がわからないほど、彼はいとも自然に本当の話へと私達を導くのだ。
とても丁寧に、道案内をしてくれる。僕はこう思っていて、こういう歌詞を書きました。この言葉を選んだのはこういう意味です。そうやってメッセージの種明かしをしてくれる。
それはかつての彼にはできなかったことだ。彼の言うところの「本当のこと」というのはもちろん90年代からすでに数々の歌にのり、電波にのり、そこら中を飛び交っていたけれど、そのメッセージと自分自身とを一本の線で結ばれると途端に照れてしまってダメだった。誰かが確信に迫ろうものなら「いやぁ。どうなんですかね?」なんて具合に濁して、煙にまいてしまうのが小沢健二だった。
それが今となってはあんなにも自信を持って『僕からのメッセージ』として日本中に届けることができるのだ。あれには思わずぐっときた。

真っ赤な空間で歌うシナモン。
神話の話。
あの短時間の中でもあえてやる意味のあった天使たちのシーン
愛し愛されて生きるのさ。
何年も変わらず繰り返される台詞。
迷いなく、滑らかに繰り返される台詞。
追いつかないブレスに込み上げる想い。
間違える力の話。
流動体について。
間違えることは大事だけれど、間違いに気がつくことはもっと大事。

そんな全ての想いと経験と、彼を取り巻く登場人物たちをもひとまとめに乗せグルグルと回るステージ。
それを上空から映した映像は、まるで小沢健二という鮮やかな景色を見せる万華鏡のようだった。

そのシーンもさることながら、東京の夜景のジオラマが彼の背後にピタッと止まった瞬間の格好良さは忘れられない。
エネルギッシュな光を放つ東京タワーと、洗練された光を纏い静かに佇むスカイツリー
その二つの電波塔が見事に、小沢健二を象徴していた。

「昔は見えなかったその姿を、音楽やことばで、一生懸命綴ろうと思います。」

彼はこれからどんな、超どびっくりな世界を届けてくれるのだろう。
その度に街に溢れる私達のドキドキや、ハラハラや、ゾクゾクや、ザワザワ、なんかで発電できたとしたら、小沢健二の住む東京はとてつもなく明るくなるな。

なんてことを思った、SONGSでした。
本当に素敵な番組をありがとうございました。
第二回、第三回、拡大スペシャルなんかも大いに期待しています。