Ukiuki Street,#414

小沢健二中心に、好きなものを色々絡めつつ。

「大丈夫」と言いにきた春空虹ツアー

5月2日、3日、春の空気に虹をかけ@北の丸アンフィシアター(日本武道館)を終えて。

開演時間まで30分を切った頃、会場入り。初めましての小沢ファンのお姉さんとお隣の席に座り、ちょっぴりドキドキしつつ待つ。電子回路を両腕に巻きつけ、楽器でぎちぎちのステージをぼーっと見つめる。近いなぁ。ステージ高いなぁ。なんて思いながら、次第にそわそわし始める。

開演時間を十数分過ぎ、いよいよ暗転。
すかさずワーキャーと歓声が上がるが、それをたった1つのオルガンの音が遮る。よく知ったあの音だけれど、いつもより長い。どうやら聴き慣れたアルペジオとは違うらしい、と身構えていると、暗闇の中でスッ・・・!と息を吸う音がして小沢健二が叫んだ。

「僕の彼女は君を嫌う 君からのファクス隠す 雑誌記事も捨てる その彼女は僕の古い友と結婚し子供産み育て離婚したとか聞く 初めて会った時の君 ベレー帽で少し年上で言う 小沢くん インタビューとかでは何も本当のこと言ってないじゃない 電話がかかってくる それはとてもとても長い夜 声にせずに歌う歌詞が振動する 僕は全身全霊で歌い続ける・・・10、9、8、7、6、・・・」

5、4、3、2、1

「トーーーキョーーーー・・・!!!」

日比谷公園の噴水が春の空気に虹をかけ 神は細部に宿るって君は遠くにいる僕に言う僕は泣く 下北沢珉亭 ご飯が炊かれ麺が茹でられる永遠 シェルター 出番を待つ若い詩人たちがリハーサル終えて出てくる・・・!」

洪水のような言葉を浴びせられた私達は、一気に現実世界が遠退くのを感じた。まるでアリスが木の根っこから不思議の国へ吸い込まれるように、私達はあの"裂け目"から魔法の世界へスルリと吸い込まれた。
ここからようやくいつもの『アルペジオ』が始まった。闇の中で聴いた歌は忘れないというのは本当で、暗転状態で歌われた最初の1フレーズは、とても鮮明に記憶に焼き付いてる。CDが壊れて音飛びするように、今も目を閉じるとそこばかり再生される。
駒場図書館をあとに」
で灯りがつく頃には、私達は全然違う世界に来ていることに気がついた。たぶんあの時から、武道館ではなく北の丸アンフィシアターにいたのだと思う。

非現実世界は時間の流れが速くて、現実世界の15分は北の丸では5分で過ぎていた。
たぶん私は、『シナモン』で変身ポーズを踊り、『ラブリー』で小さな虹を描き、『ぼくらが旅に出る理由』で男子気分・女子気分のパートを全部歌って熱狂していたはずなのだけど。途中雨が降って来てもそんなことは気にも留めず、「女子!女子!ささやいてっ」と言われながら『いちょう並木のセレナーデ』を歌い、『神秘的』の心地よさに酔いしれていたはずなのだけど。
なにせ3倍の速さで時間が過ぎていたから、ブワッと涙が溢れて我に返った時には『いちごが染まる』の真っ只中だった。意外なことに、最初に泣いたのはこの曲だった。周囲のポールにぐるぐると糸が巻かれていく中で、それを弾き飛ばさんとする小沢さんの歌声の生命力は狂気的で、まるで繭を突き破る蝶のように、強く、美しかった。
「今、もう少しでーーー・・・!」と駆け上がる壮大なオーケストラの音色は髪の毛の先までびりびりするほど、凄まじいエネルギーだった。
続く『あらし』。満島さんの手の中でプリズムが煌めくのを見た時は、思わず「一様の形を順々に映す鮮やかな色のプリズム・・・」と流れ星ビバップの歌詞が口をついた。透明の多面体が虹色の光線を放つ様は私達に何か教えているようだった。ああ、そうか、体は一個だけど、人は皆無数の色を含んでるんだ。「オザケンってこういう感じだよね。」と小沢健二の色を決めることなど誰にもできないのに。超絶クールな演奏をぼんやり聴きながら、そんなことばかり考えていた。

そしてまた3倍速で時は流れ、『フクロウの声が聞こえる』からの怒涛のキラーチューンの波。『戦場のボーイズ・ライフ』、『愛し愛されて生きるのさ』、『東京恋愛専科』の変則メドレーは20mシャトルランのごとく、息つく暇もなく駆け抜けて終了。大の字になってゼェハァしているところに今度は『強い気持ち・強い愛』というバケツの水をぶっかけて来て「起きろ!」と鬼コーチ。あーもう、幸せすぎて死ぬ!と思いながらひたすら飛び跳ねた。
キラーチューンのトライアスロンタイムが終わると、ちょっと聴き慣れないアレンジのイントロが始まった。満島さんはギターを弾いてるし、なんだっけこの曲?と思っていると、小沢さんが再び絶叫した。

「Let's get on boardーーー・・・!!飛び立とう!」

『ある光』だった。全身にゾワッと鳥肌が立った。
かつて、小沢さんの心の中にあった光が、身を滅ぼすほど熱く燃えていた時、それはもう、辛く、苦しそうに見えた。とても目を開けてはいられないほどの強烈な光の中で「連れてって」と切に願う姿。私達は皆、息をのんで見つめるしかなかった。けれど、時が流れて、ようやくその光は本当の心と混ざり合い、中和され、温もりを生む柔らかな光へと変化したようだった。
「この線路を降りたら・・・この線路を降りたら・・・この線路を降りたら・・・」と、何度も歌う、線路を降りる前夜の苦悩と決意に対し、今の小沢さんが「大丈夫、そのまま進め!」とあの日の自分に歌っているのを見ているようで、歌いきった瞬間の小沢さんの笑顔にドバドバと涙が溢れた。

【光は全ての色を含んで未分化。無色の混沌。それはそれのみとして、分けられずにあるもの。切り分けられていない、混然とした、美しく大きな力。それが人の心の中にある。】
この言葉を体現して見せた小沢健二という人間に、すげぇ、やってのけた。と、ただただ脱帽した。

本編の最後は『流動体について』。ある光から続くこの流れは、長編小説の下巻が出た感じだった。てっきり未完の小説としてあのまま終わってしまうかと思われたが、19年後、ちゃんと物語の続きが発表された。壮大なストーリーはまた動き出したのだ。そういえば、今こうして北の丸でお祭り騒ぎをしているけれど、現実世界は今ごろどうなっているだろうか?なんてことをちょっと思いつつ、鮮やかなストリングスの音色に包まれ曲は終わった。

「アンコール呼んでください」

の言葉を残し、小沢さんは闇の中へ。
すっかり身も心も捧げて、体力ゲージもピコピコと赤く点滅している状態だったので、また激アツの曲なんか来たら本当に倒れてしまうかも、と思っていたけれど、アンコールは思いのほか静かに始まった。

「薫る風をきって公園を通る・・・汗をかき春の土を踏む・・・」
初めて聴く、スローテンポな流れ星ビバップが、子守唄のように私たちの擦り減ったライフを蘇らせていった。鬼コーチにちょっと優しくされたので、オーディエンスはケロッと復活して、そこからはまさに流れ星。
「ォイ!ォイ!ォイ!ォイ!ォイ!」と拳を突き上げフルスロットルの会場は暑くて暑くて汗だらだら。今度こそヘトヘトになった私達はしばし放心状態に。

アメと鞭の使い分けが巧すぎる小沢さんから最後にもらったアメ玉は、『春にして君を想う』。私はここで、3度目の涙を流した。50歳の小沢健二が歌うこの曲は、驚くほど"今"に寄り添っていた。
小沢さんの人生における春が、今ようやく巡ってきたことを実感し、じわじわ滲んでくる涙を何度拭っても拭いきれなかった。
「薄緑にはなやぐ町色 涙がこぼれるのは何故と 子供のように甘えたいのだ 静かなタンゴのように」
パーティーのようにハイな夏が過ぎ、少しセンチメンタルな秋が訪れ、互いに厳しい冬を越え、やっと、春が来た。あまりにも美しくて、満島さんとの甘いダンスの合間に、しばらく目を瞑って聴き入っていた。

『ドアをノックするのは誰だ?』それはもちろん小沢健二に決まっている。人々の日常と非日常の両方に訪ねて来て、「どうしてる?」って言ってくれるそんなご丁寧なアーティストは小沢健二だけだ。
「一緒に導かれたいんだ・・・! 行かないでいつまでだってそばにいて・・・!」
そんなのこっちの台詞じゃい、と1万人が思った。思いっきり恋に落ちた北の丸女子と男子は、この先ずっと小沢さんのノックを待って暮らしていくのだろうなと、そう確信した。

ついに終わる。アルペジオで始まり、最後はアルペジオで終わる。"裂け目"を持つこの歌は、日常から非日常への入り口であり、非日常から日常への出口でもある。

日比谷公園の噴水が春の空気に虹をかけ 神は細部に宿るって君は遠くにいる僕に言う僕は泣く!下北沢珉亭 ご飯が炊かれ麺が茹でられる永遠 シェルター出番を待つ若い詩人たちがリハーサル終えて出てくる!」
はじめは小沢さんが一人で叫んでいたこの歌詞も、最後はみんなで一緒に叫び、歌った。この17秒間が、本当に、灰色の日常に色を塗るようだった。平凡な日常は、悪くない。生活に帰る前に、この言葉があって本当によかった。

そしていよいよお別れの時。
「カウントダウンって、単純なんですけどみんなで参加できるからいいなって思ってて、よくやるんですけど。最後はカウントダウンで、生活に帰りましょう。」

いつになく飄々とした小沢さんの声が胸に突き刺さったけれど、なんだか妙にたくましかった。ちゃんと食べてちゃんと眠る、そうしてたまに遊ぶ。そのスタイルで行くと決めた張本人なのだから、自分が寂しがって揺らいではいけないという覚悟を感じた。五本の指を広げて空高く掲げる。

「5、4、・・・」
「やだーーー!やだーーー!」
「大丈夫。みんなやってんでしょ?生活。はい、5、4、3、2、1・・・生活に帰ろう。」

なんて呆気ないんだろう。呆気ない。正直とてつもなく寂しい。でも、これでいいんだ。北の丸アンフィシアターの1日目が終わった。


最終日はさらにここからダブルアンコールが巻き起こった。前日の、ちょっと惰性が入ってる「とりあえず拍手」というアンコールではなく、八角形の会場の全辺が心の底から小沢健二を求める地鳴りのような轟音が鳴り響いた。拍手とも、歓声ともつかない、『ウネリ』のようなもの。うわっ、なんだこれ!?とちょっと恐怖すら覚えた。すると、2000円席からは何も見えなかったのだけれど、どうやら暗闇の中でステージにメンバーが戻ってきたらしく、一際大きな歓声が上がった。『フクロクの声が聴こえる』のイントロが鳴り響いた。
個人的に、1日目は生オーケストラで聴くあの壮大な楽曲に感動こそしたものの、泣きはしなかったこの曲。しかしこの時のフクロクは全然違うものに聴こえた。ある光で感じた、過去の自分への「大丈夫」、そしてカウントダウンの時の「大丈夫」に続き、最後の最後のフクロクは生活に帰る自信を無くしている私達を全力で抱きしめるような「大丈夫」だった。

「大丈夫、大丈夫。僕も生活するから、みんなもちゃんと生活して。そんでまた時々遊ぼうよ。」そう言っているような力強い歌声に、ああ、もしまた何年か会えなくてもずっとついていける、ずっとこの人と遊びたい、そう思った。
過剰に身を捧げて、また自分の首を締めないために、音楽活動とは適度な距離感を保つと決めた小沢健二。泣いたり、寂しがったり、揺らがないと決めた小沢健二。けど「もう1回やりたくて」と急に可愛いことを言いはじめるから、あそこにいるみんなが、「もぉーーーー!なんだよー!」って小沢さんの頭をぐりぐりしたくなったのは秘密。

それでは、素敵な思い出を胸に、生活に帰りましょう。

5、4、3、2、1

生活に帰ろう。