Ukiuki Street,#414

小沢健二中心に、好きなものを色々絡めつつ。

フリッパーズギター

Twitter上では、フジロックでのコーネリアス小沢健二の出演時間が被るのでは、という話題で持ちきりなわけで。誰もがどっちを見るか究極の選択に迫られているところなわけで。どうにか分身の術でも身に付けようと山に籠る人もいるかもしれませんね。

そんな状況をフェンスの向こう側に見ている私は、完全に小沢健二一択のファンなので体が裂かれるような思いはしなくて済みそうですが、一方で、多くの人と同じようにフリッパーズギターの世紀の接触に心躍らせる体験ができないというのは少しもったいないことをしたなぁとも思います。
ケーキを食べて、しかも取っておくことはできない。あの言葉が今とても心に染みています。
今日はそんな、ケーキを食べてしまうに至ったお話です。


私は小沢健二でさえギリギリのリアルタイム世代なので、フリッパーズギターに関してはもう完全に後追い、というか実際はそこまで追いもしなかった。
というのも、私が惚れたのは「小沢健二小沢健二として発信していた音楽と思想」、ただそれだけだったからだ。
時には、好きな人を取り巻くモノや人が無条件に輝いて見えることもあるのだけど、小沢健二と組んでいたからという理由だけで小山田圭吾にも同じように興味を持てたかと言うと私の場合はそうではなかった。
もちろん曲やミュージックビデオ自体の、作品としての素晴らしさは今でも感じる。小沢健二の紡ぎ出す言葉に小山田圭吾の甘やかで乾いた歌声がのっかり、二人の起こす化学反応は間違いなく芸術的だった。その作品たちは中毒性をもって日常に溶け込んだし、洗濯物を干しながら恋とマシンガンを口ずさむことにはなんの違和感もなかった。
けれど、私の見方では小沢健二の中のフリッパーズギターというのは、コンセプトを明確に持って始まりそして終わった、突発的なイベントのようなものだと思っている。
あの二人をよく知る人にはそうは見えないのかもしれないけれど、あえて深く追いかけなかった私が見る限り二人は全然違う人種に見える。太陽と月、プールと温泉、山口百恵桜田淳子ぐらい違う。だからこそ凸と凹がうまくハマったのだ。
少々おかしなラインナップで例えてしまったけれど、小山田圭吾が常にクールでドライな性質であるのに対して小沢健二はクールでドライを演じつつ実はめちゃくちゃ熱い男であると言いたかったのだ。
誰しも自分と違う性質のものに憧れることがあるだろう。そしてその世界を味わってみたいとも。隣の芝生はいつだって青く、その輝きに時々引け目を感じたりもする。
なんだか世渡り上手でうまいこと生きてるヤツを、ほんの少し羨ましく思う時期というのはあって「あんな風に気楽に生きるってのもいいよなー」と、試しに乗っかってみたりもする。
小沢健二もまさしくそれのような気がするのだ。
小山田圭吾の器用さにある部分で憧れていたのだと思う。カリスマ性があって、華があって、センスがあって、汗臭い努力とかしなくてもなんとなく賑やかな場所の中心で生きてるような。
そんなクールな世界で自己表現が出来たら最高かもしれない、そう思って小沢健二は精神的な部分で小山田圭吾に寄せていったのだと思う。まるで初めから同じ性質であるかのように、いつしか以心伝心、一心同体と言えるまでに完璧に融け合った。
そしてある時気がついた。ちょっと羨ましいと思っていた“あっち側”にいざ来てみたら「あれ?なんか思ってたのとちげーなぁ。」と興醒めしてしまったのではないだろうか。

想像していた【クールな俺】は、いつでも言いたいことを言ってやりたいことをやって、誰に何を強制されるでもなく自己表現できるはずだった。それが現実はどうだ。
「あれはよく知ってますよ、もちろんこれもね。でも、どれもダメだね。よくないよ、ほんと。」
そう言って、マジョリティを批判することに夢中になっているだけではないか?それが自己表現と言えるのか?自分達だけが世の中の本質を見抜いているかのように、世間を見透かして達観した風に見せていても、結局俺たちに何ができるってんだ?
小沢健二がやりたいのはたぶんそんなことではなかった。
そりゃ確かに、力まず大抵のものは受け流して、世の中を評してクールに生きることはある意味賢いように思えた。けれども小山田圭吾の性質は小山田圭吾の性質であって同じようには生きられない。小沢健二はクールには生きられない性質だったのだ。
最初の例えに戻るならば、小沢健二は太陽だ。人の光を反射して輝くのではなく自分の発する熱で生きていくタイプだ。それを無視してクールを演じるのには限界がある。彼の心の中にほとばしる熱いパトス的な何かを、根幹に流れる生命の熱を、無視することなどできなかった。

「あー、俺って生きるの下手くそ!」

それを認めた時、本当の小沢健二が動き始めたのである。
ソロ初のアルバム【犬】に収録された曲にはどれも、そんな不器用な生き方を選んで歩んでいく決意が見てとれる。
中でも天使たちのシーンは本人が好きな曲としてあげるのも頷けるほど小沢健二が爆発している。俺はこういう事言いたかったんだ、ずっと。その気持ちがビシバシ伝わってくる。
あのシャイな性格をねじ伏せた解放への欲求

だからこそ。

暗闇から伸ばされた彼の手を全力で引くために、きっと私はフリッパーズギターをそこに置いてきたのだ。
小沢健二というケーキを食べて、フリッパーズギターを取っておくことが出来なかったけれど。

私の場合はこれが正解だったのだろうなと、フジロックを前にそう思う。