Ukiuki Street,#414

小沢健二中心に、好きなものを色々絡めつつ。

痛快ウキウキ通り

今日はブログタイトルにも選んだ『痛快ウキウキ通り』の話。

まずはじめに言っておかなければならないのは、この曲が私とオザケンの出会いの曲だということ。
当時8歳の私はテレビに流れる痛快ウキウキ通りのミュージックビデオを見て一目で恋に落ちた。そう、「思いっきり恋に落ちたぁ〜!」である。レストランのショーウィンドウにつやつやと輝くプリン・ア・ラ・モードを見た時と同じように。
「なにあれ!?ステキ!」
そう思った。
それからしばらくはどこへ行くにも鼻歌なんか歌ったりして。
オザケンってかわいいんだよねぇー。」と一丁前に女子大生のような発言をしていた。同い年の女の子たちはせいぜいSMAPだとかV6を知っている程度で誰かと盛り上がれるということもなく、子供の移ろいやすい一瞬のマイブームはほどなくして過ぎていった。
両親が誰かしらの芸能人やアーティストのファンである場合、家の中にテレビ雑誌だとか音楽雑誌だとかがあって、またはCDを買うとかビデオを録画する文化があって子供もそれを覚えていくのだろうけど、うちの両親はそういうのには興味がなかったようで。せっかくリアルタイムでオザケンの魅力に気付いていたのに、ファンになるという概念すらないガキんちょだったのがとても悔やまれるところである。
その後友達の影響でジャニーズアイドルや、いわゆるビジュアル系バンドなんかにハマったりもしたのだけど、痛快ウキウキ通りだけは長年に渡って私の心の中をテクテクと歩きまわった。マフラー巻いたりターバン巻いたりしながらテクテクと。

19歳になって、人生を捧げるぐらいとあるバンドマンに夢中になっていた頃も、カラオケに行くとなぜかウキウキ通りを歌った。
21歳の頃マイケル・ジャクソンが亡くなって、生活がマイケル一色に染まっても。なぜかウキウキ通りを歌っていた。

短い人生の中で、邦楽から洋楽から、インディーズからメジャーから、アイドルからバンドから、いろんなアーティストに情熱を注いできたけれど。 この3年ではたと気づいた。
私はなぜ小沢健二を追いかけていなかったのか?
まぁ答えは単純で、小さな頃から心の中を彼がテクテク歩きまわっているからだ。こっちから必死に知りに行かなくても、なんとなくずっと知っているような気がしたのだ。

そんな経緯があり、気になり始めてから色々と情報収集に努めたのだけれど、その頃の小沢健二はあまり情報がなかった。13年ぶりのコンサートツアーひふみよも終わった後だったし、東京の街が奏でるも終わったあとだった。
メディアには露出してないし、次はいつどこで何をやるのか全く分からなかった。昨年の魔法的ツアーを知った時もタイミングが合わず、別の上京の予定と日にちが近すぎて沖縄から週に2回も飛んで行くには金銭的に不可能だったため泣く泣く諦めた。
当面会えそうにもないことは分かったが、気になり出したら止まらない。そうだ、カラオケに行こう。いつものように。ちょっぴり浮かれてウキウキ通りでも歌えば小沢健二をそばに感じることはできるだろう、と。
そうしてよくよくデンモクを抱えて曲を選んでみれば、「あれ?ラブリーも歌えるな。」「ブギーバックも歌えるし。」「僕らが旅に出る理由?歌えるわ。」となんだか知らないが小沢健二の曲を沢山知っている自分がいた。他の誰かに夢中になっている間も、しっかりとその声は届いていたらしい。

そして今年。Kenji is comin' back.
19年間精神と時の部屋にでも行ってたのかと思わせるほど厚みを増してド派手に参上したのである。目が眩むほどロマンチックだった。

私が思うに、「痛快ウキウキ通り」は“オザケン”の集大成だ。やることはやったし言うことは言った!もうこれで全部!もうない!と言わんばかりの中身の濃い歌である。あんなにコンパクトに、なおかつポップに、卒業論文なみの情報量を詰め込むなんて相当イカれてるし、感情が表面張力状態にあったオザケンだから成し得た狂気の沙汰である。
そんな難解な曲なので考察したがりの小沢ファンの頭脳をも幾度となく打ち砕いてきたことだろう。私もこの曲はあまりにも幼い頃からフィーリングで聴いてきた曲なので考察しようとさえ思わなかった。が、最近ふいに答えが提示された。
他でもない私の心の中で21年間テクテク歩きまわってきたオザケン本人からの種明かしであった。

「それでいつか君と僕とは出会うから
お願いはひとつ笑顔で応えてと!」

これは言うなれば、「オザケンしか知らない君も、いつか小沢健二に出会うよ。」と言っているようで。
この一文を歌詞カードのあたまから読み直した時、全てがそう見えてきた。小沢健二の人生そのものに。

プラダの靴を欲しがるごとく、“オザケン”にあれこれ求めた私達。そんな私達の願いを叶えるため、照れながらもメディアの中を行ったり来たりしてくれたのだ。
それは他でもない、喜びを分かり合ってくれる君や、思い出を共有してくれる君のために。だけどあっちの世界というのは自分を見失ってしまいがちで、「こんなハズじゃなかった!」と酔いから醒めた頃には世界は様変わりしていた。
本当を探してブラブラ彷徨って、本人にとってはほんの一夜ぐらいの出来事だったのかもしれないけれど。あっという間に時は流れて、そして今がある。
君の欲しかったものを用意してきたよ。遅れてごめん!と。

いつも、どんな場所からでも『君』と喜びを分かち合おうと必死に戦い続けてくれた小沢健二の盛大な遅刻に、私達はきっと笑顔で応えられる。
笑顔の裏で「しょうがないなー。」と言いながら泣くだろう。

21年もの間、心の中で歌い続けてくれてありがとう。